襲撃の当日。 真夜中に目を覚ましたディミトリは二階の窓から双眼鏡で外を眺めた。例の不審車が居るかどうかを確かめるためだ。 二ブロック先の交差点を見てみたが問題の車は居なかった。(やはり、夜中は見張っていないのか……) もっとも、他の場所に変更した可能性もあるが、それは低いだろうと考えていた。(本格的に見張るのなら複数台で交代するはずだからな……) 見張りだけで何も接触してこないのも不思議ではある。彼らの意図が良く分からない。 だが、分からない事で悩んでいてもしょうがない。今は目の前にある問題に取り掛かることに決めた。 それでも念の為に家の裏側から、他人の敷地を通って抜け出した。自転車は予め公園に駐めておいたのだ。(五時頃までには戻りたいな……) 昼間は普通の中学生を演じているので、突発的な休みはしないようにしている。(良い子を演じるのも大変だぜ……) そんな自虐めいた事を考えながら、詐欺グループのマンションに着いた。 夜中であることもあり、誰とも擦れ違う事はなかった。 マンションの入口付近には防犯カメラがあるのは知っている。 なので非常階段側に回り込み、外についている雨樋を足がかりにして乗り込んだ。 何も正面から行く必要は無い。これから行うことを考えると、防犯カメラに映り込むのは避けたい所だ。 そして、静かな階段を上り外廊下を走り抜ける。いつもながらドキドキする瞬間だ。(このドキドキ感がたまらないよな……) 訳の分からない感想を考えながら目的の部屋の前に来た。 マンションのドアに取り付き、ドアスコープを覗き込んだ。人の移動する気配は無い。 ドアスコープは中から外が見えるように作られている。だから、中が見えるわけでは無いが動く影ぐらいは見えるのだ。 ドアスコープをペンチで外して、その穴から内視鏡を差し込んだ。胃の検査とかに使う器具。 内視鏡でドアに付いている鍵のノッチを回せば、鍵が無くとも家の中に侵入できてしまう。 これは空き巣が良くやる手口だ。ドアスコープが何の脈絡も無く取れていたら要注意。(よし、ひとまずは成功だ……) ディミトリはいとも簡単にアジトに忍び込むことに成功した。賃貸物件サイトの案内では2LDKのはずだ。 マンションに入った瞬間に想ったのは『酒臭え』だ。マンションの中には男たちのイビキが響いて
ディミトリは厚手のマスクを口元にして、携帯の音声加工アプリを使い始めた。 今のディミトリの声は中学生の坊やの声なので凄みが無いためだ。『金は何処だ?』 音声加工アプリから流れ出す器械的な声が部屋に響く。 質問はシンプルな方が良い。彼らに余計なことを考えさせる暇を無くす為だ。「金なんかねぇよっ!」 リーダーらしき男が答えた。ディミトリは最初から彼らが白状するとは思ってもいない。 だが、彼らと会話する手段は幾らでも知っている。色々な手段は経験済みだからだ。『……』 リーダーの顔に持ってきたマスクを掛けてやり、それからマスク全体に酢を垂らしてやった。「ゲホッゲホッ」 酢特有の刺激臭にリーダーはむせ返っていた。顔を左右に振ってマスクを外そうとするが叶わない。『金は何処だ?』 ディミトリは再び質問した。器械的な声が部屋に流れる。「だから、ねぇって言ってるだろうっ!」 やはり、酢程度では駄目なようだ。次は酢酸を掛けてやった。 これは写真の現像などに使う皮膚などに付くと爛れてしまう程の酸性を持っている。当然刺激臭もキツイ。「ゲホッゲホッゲホッゲホッ」 リーダーの咳き込み具合は酷くなった。喉の奥から絞り出すような咳き込み方だ。 何も喋らないので今度はアンモニアの小瓶を鼻先に突きつけてやった。「むがぁっ!」 アンモニアは効いたようだ。仰け反るような仕草を見せたか思うと項垂れてしまった。 他の三人はリーダーの咳や声を聞くだけでビクリとしていた。時々、ぶん殴ることも忘れない。 いつ自分に拷問の番が回ってくるのかを分からせないようにする為だ。 そうやって恐怖心を植え付けるのが上手く尋問を行うコツだ。『金は何処だ?』 きっと、際限なく拷問されると観念したのだろう。「―― 本当に無いんです ――」 リーダーは目と鼻と口から色々なものを垂らしながら言ってきた。『十本有るのは知っている。 何処だ?』「あ、アレはもう渡した……」 リーダーは即答してきた。 此方は金が集結しているのを知っている。そう示唆したつもりだったが頭が回っていないようだ。 まだ、金が無いと言い張るつもりのようだった。『それは明日じゃなかったのか?』「えっ……」 ここでリーダーは襲撃者が金の行方のことを知っている事に気がついた。少しトロイようだ。「ちょっ
詐欺グループのアジト。 想定していなかった玄関のチャイム音にディミトリは反応した。 まず、四人の口にテープを貼り直したのだ。声を出されたら困るからだ。四人は何やらモガモガ抗議していたが無視した。 部屋の電気を消して玄関ドアの所に行った。外の様子を窺うために、ドアスコープ越しに覗こうとした。 だが、ドアを睨みつけたままで動くのを止めた。(ん?) ドアスコープの部分に違和感を覚えたのだ。(……) 直ぐにそれが何なのかは気づいた。(確か玄関先に廊下の蛍光灯が点いていたはず……) つまり、ドアスコープからは灯りが漏れていないといけない。 だが、ドアスコープは暗くなっているのだ。そして、見てる間に再び明るくなった。(つまり…… ドアスコープ越しに中を覗いている奴がいると言うことか……) それはディミトリにも覚えがある事だ。自分自身がこのマンションへ侵入する時に同じことをしたからだ。 勝手が分からないのに突入するのは馬鹿のやることだ。(泥棒じゃないよな……) 泥棒も強盗もチャイムは鳴らさない。 ディミトリは玄関ドアに耳を付けて、外の様子を窺ってみる。何やら動く気配はあるがハッキリとはしなかった。 そこでディミトリはベランダから様子を見てみようとリビングを横切った。 詐欺グループの男たちはモゾモゾと拘束を解こうと動いてる。(宅配便…… じゃないよな……) ベランダが見える窓に寄り添うように立って、カーテンの隙間から外を覗いてみた。 カーテンが揺れないようにそうっと見るのだ。 すると、目付きの悪い男が熊のようにうろついているのが見えている。時々、この部屋の方向をチラチラ見てる。(何だよ…… ヤクザのカチコミか?) ここの連中はアチコチに恨みでも買ってるのだろうかと思い始めた。恨みを買わない方がおかしいとも言える。 やっている仕事内容からすると、縄張り争いなども考えられる。 だが、男のもとに何人かが近づいていくのが分かると考えを改めた。(男が三人に女が一人…… ちっ、警察のガサ入れじゃないかっ!) ヤクザのカチコミならゴリラみたいな野郎が詰めかけるはずだ。女性が混ざっているのは警察関係者である証拠だ。 そして早朝の時間にやってくるのは詐欺グループの家宅捜索なのは明白だった。 裁判所の出す令状には時間的な制約があるのだ。時
(借金返さない奴の所にロケットランチャー打ち込んだ事があったな……) 昔、ポーカーで大勝ちしたことが有ったが、その時の相手が金持ちの癖に金払いの悪いやつだった。 頭にきたので対戦車ロケットランチャーを、自宅に打ち込んだら泣きながら払いに来たことを思い出した。(ちょっとした挨拶だったんだがな……) 慌てふためく金持ちの顔を思い出しながらクスクスと笑っていた。 ディミトリは詐欺グループの男たちの携帯電話を取り出した。没収しておいたのだ。 これから、この携帯電話を使った遠隔装置を作りだす。 まず、ノートパソコンからバッテリーを外す。バッテリーの電源端子に線を繋ぎ少しだけ離しておく。 その線を跨ぐようにテッシュを置き、上からの圧力で線がショートするようにする。 携帯電話を垂直に立てて、不安定にさせれば出来上がり。 こうしておくと着信のバイブ機能で携帯電話が振動して倒れてしまう。 携帯電話はテッシュに倒れ込んで線をショートさせるはずだ。テッシュは発火し花火に燃え移る。 と、なるはずだ。(でも、俺はハズレを引く天才だからな……) いきなりの事態に捜査員は慌ててしまい応援を呼ぶだろう。 つまり、警察の関係者を玄関先に集結させてしまおうと言う作戦だ。 結構、荒っぽいが他の方法を思いつかなかった。(めんどくせぇな…… 全員殺ってしまうか……) 勿論、全員殺ってしまっても良い。ディミトリなら訳なく出来るだろう。だが、今はその時ではない。 小道具は色々と持ってきたが、所詮は中学生が用意できるものだ。たかが知れている。 スリングショット以外に武器は無い。これでは手間が掛かり過ぎてしまう。 なるべく穏便に脱出したかったのだ。 玄関からは相変わらずチャイムが聞こえ、同時にドアをノックする音も聞こえ始めた。 どうやら居留守を使っていると思われているらしい。チャイム音と同時に部屋の灯りを消したので当然だ。 ディミトリは窓に小細工を仕掛けた。内鍵を掛ける所に釣り糸を引っ掛けたのだ。 釣り糸を窓と窓の隙間から外に押し出しておく。外から釣り糸を引っ張れば鍵を掛けた状態に出来る。 そうすると密室状態であると勘違いしてくれるはずだ。(これで上手くいくはず…… いってくれ…………) 玄関に仕掛けた装置を電話で起動した。着信音の後にボンと音がした。やがて
自宅。 早朝に帰宅したディミトリは祖母に悟られないようにコッソリと自室に戻った。 そして、パジャマに着替えてベッドに寝転んだ。(何故、あの車が彼処にいたんだ?) 釈然としない気分で自問自答する。自分としては部屋に居る風を装っていたつもりだ。 いつもどおりに夕方のランニングを終え、自宅に戻ってから外には出かけなかった。 そして、彼らに見つからないように裏の家から通りに出た。(何もおかしな点は無いよな……) 今日一日の行動を思い返してみて不審点を考えてみた。(もう一台。監視用の車が居たのか……) だが、通りには車は居なかったはずだ。それは確認していたから間違い無い。 そして移動中も警戒を怠らなかったつもりだ。元々、何か異変を感じたらそこで中止してしまうつもりだったのだ。 これは不審車だけでは無い、警察車両の警らも警戒しているためだ。 中学生がフラフラと出歩いて良い時間でない。それを知っているので注意しているのだ。(車が居なくても人員を配置していた可能性もある……) 通りには雑居ビルもあったし、マンションなども建っている。 その中で監視されていたらディミトリには分からない。(う~ん……) 定点的な観測所を設けるのなら、車を増やした方が使い勝手が良いはずだ。 自分だったらそうする。(何らかの手段で確認する必要があるな……) ディミトリが分からない手段で監視されているとしたら問題だ。行動の自由が無くなるのを意味している。 それでは金を都合して自分の身体を探すことが難しくなるからだ。(ええい、クソッたれな連中めっ!) ディミトリは毒づいてから布団を頭まで被った。考えがまとまらないせいだ。 少しウトウトしてから学校に行くために再び着替えた。日常を演じる事で無関係を装うつもりだ。 もっとも、謎の組織の監視下にあるので意味が薄いかもしれない。 学校を普通に終えたディミトリは早速着替えた。夕方のランニングを装う為だ。 だが、途中でコースを変更して目的地を変更するつもりだった。 毎日、ランニングの最中にストレッチ体操をする公園を横切ってバスに乗車した。 ランニングコースからバス通りに出るには、公園を大回りしなければならない。 ここで不審車の視界から消えてなくなる筈だ。「ふふふっ……」 不審車に載る二人組の慌てぶりが目に浮
「ちょっと、待てよ……」「なんで、ソイツが来るんだ……」「何で、俺の部屋を知ってるんだよ……」 ディミトリの異常性を知っている大串たちは涙目だ。彼らの拠り所である男の強さとは次元が違うからだ。「俺は何でも知ってるよ……」 先ほどとは打って変わったように静かに返事した。「まあ、大人しく座っていれば、今回は目玉は抉らないよ……」 そう言うとニッコリと笑った。「……」 ディミトリは彼らを無視して部屋を横切った、そして、窓にから外を双眼鏡で覗き始めた。 担いできたディバッグに入っているのは勉強道具では無い。 双眼鏡や着替えなどを持ってきているのだ。「アイツは何やってるんだ?」「覗き?」「近所にお姉ちゃんが居る家なんかねぇよ……」「じゃあ、何やってんだよ……」「関わりたいのか? おまえ……」「……」「……」 大串たちが何かヒソヒソ話をしているのを無視して監視を続けた。彼らがディミトリの事をどう思うが知った事では無いからだ。 そして十五分もしない内に、件の不審車がやってくるのを見ていた。(やはり、そう来るか……) 黒い不審車はブロック向こうの通りに停まっていた。 これでディミトリは確信した。(尾行じゃないな……) 黒い不審車を睨みつけながら、これまでの事を思い返していた。 ディミトリの顔がみるみる内に歪んでいく。(追跡されているのかっ!) ディミトリは不審車の行動の謎が何となく分かった。裏を掻いたつもりだったが、追跡装置があれば意味がない。 日中しか監視しないのは行動観察のためだ。居場所は分かっているので夜間は見張る必要が無かったからだ。 先日の詐欺グループのガサ入れも彼らの入れ知恵であろう。「クソッたれ共め…… 何を考えていやがる……」 思わずディミトリが呟いた。「?」「?」「なんだよアレ……」「お前が聞いてみろよ」「いやいや、大串を訪ねてきたんだろ」「ざけんなよ。 俺は知らんよ……」「俺も無理っす……」 そんなディミトリの呟きを大串たちは不思議そうに見ていた。 いきなりやってきて何かを話するわけでもなく、双眼鏡で外を覗いてイキナリ怒り出す同級生だ。 正直、関わりたくないタイプだと全員が思っていた。(まあ、半分予想はしてた、仕組みがわかればどうってことは無いさ……) ディミトリは背負って
自宅。 家に帰ったディミトリはティーシャツを脱ぎ捨てた。アルミ箔を貼っているので着心地が最悪なのだ。 そして、自室の窓からいつも不審車が停車しているあたりを見張っていた。 大串の家を出た後に、近くのショッピングセンターで見張っていたが彼らは現れなかった。 今回はティーシャツを脱ぎ捨てて三十分程で彼らは現れたのだ。「つまり、上半身の何処かに有るのか……」 追跡装置の在り処が絞られてきた。ディミトリは祖母の部屋から姿見を借りてきて映してみた。 事故に有った時の傷跡は全身に付いている。結構な数があり、手術跡だらけでよく分からなかった。 昏睡状態になるような怪我だったので仕方が無い。「参ったな……」 手術跡を触ってみた。デコボコとした感触があるが、傷の跡なのか追跡装置が埋まっているのか不明だ。 ある程度には医学の知識があると言っても、傷病兵に対する簡単な血止め程度なのだ。(しかし、どうやって埋め込んだんだ?) 身体に何かしらの装置を埋め込むのは、普通に寝ているときでは無理だ。 痛みで目が覚めてしまうし、それだったらディミトリは覚えているはずだからだ。 作戦の時に犬に仕掛けたことがあるが、小型と言っても結構大きかった。 身体に埋め込むのなら大掛かりな手術が必要なはずだ。(普通に考えて埋め込んだタイミングはあの時だけだよな……) ならば、これはディミトリが昏睡状態の時に施術された事になる。 それが出来るタイミングはあの時以外に無い。(あのヤブ医者め……) 本人が知らない間に何かを体内に埋め込むことなど出来ない。やれるとしたら自分が入院していたタイミングだけだ。 祖母の話ではタダヤスは病弱だが、入院などしたためしが無かったそうだ。(つまり、ヤブ医者は奴らの仲間ということだ) 親身に相談に乗ってくれていたのは、追跡装置が無事かどうかが気に成っていたのであろう。 それとバッテリーの問題もある。ある程度の間隔で充電しないと動かなくなるはずだからだ。 だから、定期的に検査の為に病院に通わされるのであろう。 ディミトリには確信していた。(さて、どうする……) 少し手荒い方法で情報を引き出そうと考えていた。 その前に身体に埋められた追跡装置だ。取り出させる方法を考えねばならなかった。(幸い…… 俺は方法を良く知ってるからな……)
「な、何してんのよっ! アンタ頭おかしいんじゃないの!?」 甲高い声でオネェ言葉を叫び出したプリン金髪。四つん這いで逃げ出し始めたのだ。 ディミトリは笑いを堪えるのに苦労した。 うずくまったまままったく動かないモヒカン風金髪。若干震えていたような気がする。 絶叫して逃走しはじめたプリン金髪を、全速力で追いかけて後ろから蹴ってやった。 すると、ガリガリのプリン金髪は前のめりで転倒した。 その倒れたプリン金髪のボディに蹴りを入れ続けた。相手が反撃出来ないようにする為だ。 最後には顔面にサッカーボールキックをした。助走をつけて蹴るのだ。 これは強烈だった。そんな事をする奴などいないからだ。「うぅぅぅ……」 うずくまったまま動かなくなったプリン金髪。 肩で息をしながらモヒカン風金髪の方に目を向けた。 なんと、さっきまでうずくまっていたモヒカン風金髪がいないではないか。 強烈なフックをお見舞いしたはずだから歩くのもやっとなはずだ。(ええーーー。 やられている仲間を放置して逃げるのかよ……) ディミトリは呆れ返ってしまった。姿形も無い所を見ると逃げ足はピカイチのようだ。「ヘタレどもめ……」 ディミトリは吐き捨てるように呟いた。理由はどうあれ仲間を見捨てるやつは最低だと思っているからだ。 これは兵隊時代から身についている習性だ。「で? 何の用なんだ??」 ディミトリはプリン金髪に向き直して聞いた。 彼は俯いたままだった。泣いているのかも知れない。「な、仲間をボコったって聞いたんで……」「仲間?」 彼らの言う『ボコる』とは喧嘩に勝つ事らしいが、喧嘩なんぞに興味のないディミトリには不明な単語だ。「ええ……」「……?」 ディミトリは何のことだか分からなかった。「何のことだ?」「?」 もう一度聞き直すとプリン金髪の方が当惑してしまったようだ。「前にダチが病院から出てきたオタク小僧にやられたと聞いたもんですから……」 青い縞のシャツと目立たない灰色ズボン。選んだわけではない。コレしかタダヤスは持ってなかったのだ。 ディミトリは溜息をついた。オタク小僧と言われても仕方のないセンスだ。 タダヤスは生まれた時からカツアゲされる宿命だったのだろう。「ああ…… あの金髪の弱っちい奴の事か?」 ここでやっと思い出した。ボコッた
自宅にて。 ディミトリは剣崎と連絡を取る事にした。「むぅーー……」 ディミトリは机の引き出しに放り込んでおいたクシャクシャにした名刺を広げながら唸っていた。 あの男から有利な条件を引き出す交渉方法を考えていたのだ。(ヤツは俺がディミトリだと知っているんだよな……) それどころか邪魔者を次々と処分したのも知っているはずだ。なのに、逮捕して立件しようとしないのが不気味だった。(金にも興味無さそうだし……) 金に無頓着な人種もいるが稀有な存在だ。自分の身の回りには意地汚いのしか寄って来ないので都市伝説ではないかと疑っているぐらいだ。「ふぅ……」 ディミトリは考えるのを諦めて、携帯電話に電話番号を入力した。 剣崎は電話が来ることを予見していたのか、直ぐに電話に出たきた。『やあ、そろそろ電話が来る頃だと思っていたよ』 相変わらずの鼻で括ったような物言いだった。ディミトリは携帯電話から耳を離し、無言で携帯電話を睨みつけた。「ああ、そうかい。 少し逢って話をしたいんだが……」 気を取り直したディミトリは挨拶もせずに用件を伝えた。『別に構わないよ。 何処が良いんだね?』「デカントマートの駐車場はどうだい?」『ふむ。 いざと成れば手軽に行方を眩ませることが出来るナイスな選択だね』「人目が有った方がお互い安全だろ?」『アオイくんを迎えにやるよ』「分かった」『アオイくんは私の命令で見張りに付いていたんだ。 殺さんでくれたまえ』「分かったよ…… 家の前で待っている」 自宅の前で待っていると、車でアオイが迎えに来た。 ディミトリは後部座席に座り、自分の鞄から反射フィルムを取り出した。これは窓に貼るだけでマジックミラーのようになるものだ。 貼っておけば狙撃者
「この後。 ホームセンターに行ってくれ」「良いですよ。 何か買うんですか?」「灯油を入れるポリタンクを買いたいんだよ」「分かりました」 ホームセンターに行き灯油用ポリタンクを十個程手に入れた。それと一緒にオリーブグリーンのビニールシートも購入した。 それと血痕を掃除する洗剤なども買った。「何に使うんですか?」「灯油を入れるポリタンクって言ったろ……」 ディミトリたちは、そのまま複数の給油所に行き、次々と灯油を購入していった。 一箇所だと怪しまれるのでポリタンクの数分だけ給油所を回っていった。「同じとこで入れれば時間の節約になるでしょう」「一箇所で大量に灯油を購入すると怪しまれるだろ?」「そう言えばそうですね……」「何事も慎重に行動するんだよ」「……」「アンタは何も考えずに行動するから面倒事になっちまうんだ」「はい……」 田口兄は訳も分からずに手伝っていた。ディミトリは買って来た灯油はヘリコプターに積み込む予定だ。 あたり前のことだがヘリコプターを飛ばすには燃料が要る。 本来ならジェット燃料がほしかったが、個人でジェット燃料など購入することは結構難しい。一般的に使われる類いの燃料では無いので売って貰えないのだ。 そこで代替燃料として灯油に目を付けたのであった。本当は軽油が良かったが、ポリタンクで軽油を購入するのは目立つのでやめた。 基本的にジェット燃料と灯油や軽油の成分は一緒だ。違うのは含水率と添加剤の有無だ。 もちろん、正規の物では無いのでエンジンが駄目になってしまう可能性が高い。それでも手に入れておく必要があった。(剣崎の野郎と会う必要が有るからな……) 何故ヘリコプターの燃料を心配しているかと言うと、近い内に公安警察の剣崎に会う必要が有るからだった。 相手の考えが読めないので、脱出手段の一
大通りの路上。 田口兄が車でやってきた。一人のようだ。「よお……」「どうも、迷惑掛けてすいません……」 ディミトリは憮然とした表情で挨拶をした。 田口兄は愛想笑いを浮かべながら、自分の問題を解決してくれたディミトリに感謝を口にしていた。「……」 ディミトリは田口兄の挨拶を無視して車に乗り込んでいった。「俺の家に帰る前に寄り道してくれ」「はい」 田口兄は素直に返事していた。年下にアレコレ指図されるのは気に入らないが、相手がディミトリでは聞かない訳にはいかない。 何より怒らせて得を得る相手では無いのを知っているからだ。「何処に向かえば良いですか?」「これから言う住所に行ってくれ……」 そこはチャイカたちが使っていた産業廃棄物処分場だ。 確認はしてないがそこにジャンの所からかっぱらったヘリが或るはず。その様子を確認したかったのだ。 処分場に向かう間も無言で考え事をしていた。田口兄はアレコレと他愛もない話をしているがディミトリに無視されていた。 やがて、目的の場所に到着する。山間にある場所なので人気など無い。道路脇に唐突に塀が有るだけなので街灯も何も無かった。 産業廃棄物処分場の入り口には南京錠が取り付けられている。ディミトリは中の様子を伺うが人の気配は無いようだった。「なあ…… ワイヤーカッターって積んである?」 きっと泥棒の道具として、車に積んでいる可能性が高いと考えていた。「ありますよ。 コイツを壊すんですか?」「やってくれ」 田口兄はディミトリに初めてお願いされて、喜んでワイヤーカッターで南京錠を壊してくれた。 後で違う奴に付け替えてしまえば多分大丈夫と考えていた。 中に入るとヘリコプターは直ぐに分かった。ヘリコプターは処分場の中程にある広場のようになった真ん中に鎮
『はい……』「帰りの足が無くて往生してるんだ」『はい……』 ディミトリは電柱に貼られている住所を読み上げた。田口兄は十五分程でやってこれると言っていた。『あの連中は何か言ってましたか?』「ああ、鞄を返せとは言っていたが、それは気にしなくて良い」『どういう事ですか?』「話し合いの最中にバックに居る奴が出て来たんだよ」『ヤクザですか?』「そうだ」『……』「ソイツの組織と別件で前に揉めた事があってな……」『あ…… 何となく分かりました……』「ああ、かなり手痛い目に合わせてやったからな」『……』 ディミトリの言う手痛い目が何なのか察したのか田口兄は黙ってしまった。「俺の事を知った以上は関わり合いになりたいとは思わないだろうよ」『い、今から迎えに行きます』 田口兄はそう言うと電話を切ってしまった。 大通りに出たディミトリは、道路にあるガードレールに軽く腰を載せていた。考え事があるからだ。 帰宅の心配は無くなった。だが、違う心配事もある。(本当に諦めたかどうかを確認しないとな……) 追って来ない所を見ると諦めた可能性が高い。だが、助けを呼んでいる可能性もあるのだ。確かめないと後々面倒になる。 その方法を考えていた。(家に帰って銃を持って遊びに来るか…… いや、まてよ……) そんな物騒な事を考えていると、違う方法で確認出来る可能性に気が付いた。(剣崎が灰色狼に内通者を持っているかもしれん……) ディミトリの見立てでは剣崎は灰色狼に内通者を作っていたフシがある。 灰色狼は日本に外国製の麻薬を捌く為
隣町の路上。 店を出たディミトリは、大通りの方に向かって歩いていった。なるべく人通りが或る方に出たかったからだ。 彼らが追撃してくる可能性を考えての事だった。相手が戦意を失っている事はディミトリは知らなかった。だから、追撃の心配は要らなかった。 だが、違う問題に直面していた。(う~ん、どうやって家に帰ろうか……) 学校帰りに大串の家に寄っただけなので、手持ちの金は硬貨ぐらいしか持っていない。ここからだとバスを乗り継がないと帰れないので心許ないのだ。(迎えに来てもらうか……) そう考えたディミトリは、歩きながら大串に電話を掛けた。 まさか、バーベキューの串で車を乗っ取るわけにもいかないからだ。「そこに田口はまだ居るのか?」『ああ、どうした?』「田口の兄貴に俺に電話を掛けるように伝えてくれ」『構わないけど……』 大串が言い淀んでいた。気がかかりな事があるのは直ぐに察しが付いた。「田口の兄貴を付け回していた車の事なら、もう大丈夫だと言えば良い」『え!』「お前の家を出た所で、田口の兄貴を付け回してた連中に捕まっちまったんだよ」『お、俺らは関係ないぞ?』前回、騙して薬の売人に引き合わした事を思い出したのだろう。慌てた素振りで言い訳を電話口で喚いている。「ああ、分かってる。 連中もそう言っていた」『……』「きっと、見た目が大人しそうだから言うことを聞くとでも思ったんだろ」『無事なのか?』「俺が誰かに負けた所を見たことがあるのか?」『いや…… 相手……』「大丈夫。 紳士的に話し合いをしただけだから」『でも、それって……』「大丈夫。 今回は殺していない……」『&helli
「この通りだ……」 ワンは銃を机の上に置いた。そして、両手を開いて見せて来た。「なら、その銃を寄越せ……」 ワンは銃から弾倉を抜いて床に置き、足先で滑らせるように蹴ってきた。ディミトリはそれを靴で止めた。「アンタに弾の入った銃を渡すと皆殺しにするだろ?」(ほぉ、馬鹿じゃ無いんだ……) 彼の言う通り、銃を手にしたら全員を皆殺しにするつもりだった。 ワンはそれなりに修羅場をくぐっているようだ。 ディミトリは滑ってきた銃をソファーの下に蹴り込んだ。これで直ぐには銃を取り出せなくなるはずだ。「鶴ケ崎先生はどうなったんだ?」「おたくのボスに殺られちまったよ」「……」 どうやら、灰色狼は組織だって動いて無い様だ。誰が無事なのかが分かっていないようだ。「それでボスのジャンはどうなったんだ?」「さあね。 ヘリにしがみ付いていたのは知ってるが着陸した時には居なかった」「殺したのか?」「知らんよ。 東京湾を泳いでいるんじゃねぇか?」(ヘリのローターで二つに裂かれて死んだとは言えないわな……) 手下たちは額に汗が浮かび始めた。さっきまで脅しまくっていた小僧がとんでも無い奴だと理解しはじめたのだろう。「ロシア人がアンタを探していたぞ……」「ああ、奴の手下を皆殺しにしてやったからな…… また、来れば丁寧に歓迎してやるさ」 ディミトリは不敵な笑みを浮かべた。 ワンは少し肩をすぼめただけだった。どうやらチャイカと自分の関係を知らないらしい。「俺たちは金儲けがしたいだけだ。 アンタみたいに戦闘を楽しんだりはしないんだよ」「……」 やはり色々と誤解されているようだ。自分としては降りかかる火の粉を振り払っているだけなのだ。結果的に
ナイトクラブの事務所。 ディミトリは弱ってしまった。部屋に入ってきた男はジャンの部下だったのだ。そして、この連中はコイツの手下なのだろう。 折角、滞りなく帰宅できるはずだったのに厄介な事になりそうだ。(参ったな……) ディミトリは顔を伏せたが少し遅かったようだ。男と目が合った気がしたのだ。「お前……」 入ってきた男が何かを言いかけた。その瞬間にディミトリは、右袖に仕込んでおいたバーベキューに使う金串を、手の中に滑り出させた。こんな物しか持ってない。下手に武器を持ち歩くのは自制しているのだ。 ディミトリは車で送ってくれると言っていた男の髪の毛を引っ張って喉にバーベキューの串を押し当てる。 これならパッと見はナイフに見えるはず。牽制ぐらいにはなると踏んでいるのだ。 いきなり後頭部を引っ張られてしまった相手は身動きが出来なくなってしまったようだ。何より喉元に何かを突きつけられている。 兄貴と呼ばれた男と部屋に居た残りの男たちも動きを止めてしまった。「動くな……」 ディミトリが低い声で言った。優等生君の豹変ぶりに周りの男たちは呆気に取られてしまっている。 しかし、入ってきた男は懐から銃を取り出して身構えていた。ディミトリの動きに反応したようだ。「え? 兄貴の知り合いですか?」「何だコイツ……」 部屋に居た男たちはいきなりの展開に戸惑いつつ兄貴分の方を見た。「ちょ、待ってくれ!」 だが、兄貴と呼ばれた男が意外な事を言い出した。(ん? 普通はナイフを捨てろだろ……) ディミトリは妙な事を言い出した男に怪訝な表情を浮かべてしまった。「俺は王巍(ワンウェイ)だ。 日本では玉川一郎(たまがわいちろう)って名乗っているけどな……」「ああ、ジャンの手下だろ…… 倉庫で
「田口君のお兄さんが鞄を持って行ったって何で解ったんですか?」 大串の家で聞いた限りでは誰にも見られていないはずだ。だが、現に田口の家ばかりか交友関係まで把握しているのが不思議だったのだ。「防犯カメラに田口が鞄を弄っている様子が映ってるんだな」 一枚の印刷された画像を見せられた。防犯カメラと言うよりはドライブレコーダーに録画されていたらしい画像だ。 黒い革鞄と田口兄が写っている。それと車もだ。ナンバープレートも写っていた。(泥か何かで隠しておけよ……) 泥棒は車で移動する時にはワザと泥などでナンバープレートを隠しておく。防犯カメラに備えるためだ。「鞄を返せと言えば良いだけだ」「鞄の中身は何なの?」 何も知らないふりをして質問してみた。「中身はお前の知ったこっちゃない」 男はディミトリをギロリと睨みつけながら言った。「まあ、そんなに脅すなよ。 中身はそば粉と子供玩具と湧き水を容れたボトルさ」「?」 子供騙しのような嘘だとディミトリは思った。「この写真を見せながら言えよ?」 ボス格の男はそう言うと何枚かの写真を投げて寄越した。 写真には田口と田口兄。それと一組の夫婦らしき男女の写真と、小学生くらいの女の子の写真があった。田口の家族であろう。 最後は故買屋の防犯カメラ映像だ。鞄の処理の前に銅線を売りに行ったらしい。 普通の窃盗犯であれば仕事をした後は暫く鳴りを潜めるものだ。そうしないと探しに来る者がいるかも知れないのだ。(ええーーーー…… 素人かよ……) 余りの幼稚な行動にめまいがしてしまった。「そば粉なら、また買えば良いんじゃないですか?」 ディミトリは話の流れを変えようと言い募った。 窃盗した後に迂闊な行動をする馬鹿と、見張りも立てずに取引物をほったらかしにする素人など相手にしたくなかったのだ。「そば粉は別に良い。 ボトルを返せと言えば良い……」 ここで、ピンと来るモノがあった。(そば粉だと言う話は本当だろう……) 見つかった時の言い訳用だ。拳銃が玩具だというのも本当だろう。万が一、職務質問で見つかっても警察が勘違いだと思わせることが出来るはずだ。 ボス格の男が色々と蕎麦に関してのウンチクを並べているがディミトリの耳に入って来なかった。(だが、ボトルの中身は…… 麻薬リキッドだな……) ディミトリはボトル
大串の家の近所。「いいえ、別に友達ではありません……」 ディミトリは警戒して言っているのでは無い。本当に友人だとは思って居ないのだ。「でも、田口のツレの家から出てきたじゃねぇか」 男の一人が大串の家を顎で示しながら言った。 これで男たちが田口を尾行して、彼が大串の家を訪ねるのを見ていたと推測が出来た。「学校でクラスが同じなだけです……」 ちょっと、面倒事になりそうな予感がし始め、ディミトリは警戒感を顕にしていた。「ちょっと、オマエに頼みたいことが有るんだ」 男が手で合図をすると車が一台やって来た。やって来たのは白の国産車だ。 大串たちの話ではグレーのベンツだったはずだが違っていた。「ちょっと、付き合ってくれ」 開いた後部ドアを指差した。「クラスの連絡事項を伝えに来ただけで、僕は無関係ですよ?」 妙齢のお姉さんであれば喜んで乗るのが、おっさんに誘われて乗るのは御免こうむるとディミトリは思った。「田口に届け物を渡して欲しいんだよ」「それなら、おじさんたちが直接渡したらどうですか?」 ディミトリは尚もゴネながら逃げ出す方法を考えていた。「良いから。 乗れって言ってんだろ?」 ディミトリを知らないおっさんは頭を小突いた。瞬間。頭に血が上り始めた。(くっ……) だが、人通りもあって我慢する事にしたようだ。今はまだディミトリは冷静なのだ。ここで、喧嘩沙汰を起こすと警察が呼ばれてしまう。それは無用な軋轢を起こしてしまう。 それに相手は中年太りのおっさんが三人。ディミトリの敵では無い。チャンスはあると思い直したのだった。(周りに人の目が無ければ、コイツを殺せたの……) ディミトリは残念に思ったのだった。 こうして、ディミトリは大串の家から出てきた所を拉致されてしまった。 連れて行かれたのは中途半端な繁華街という感じの商店街。端っこにあるナイトクラブのような地下の店に連れ込まれた。 まだ、開店前らしく人気は無かった。その店の奥にある事務所に連れ込まれた時に、白い粉やら銃やらをこれ見よがしに置かれているのを見かけた。(ハッタリかな……) まるで無関係の奴に見せても益が無いはずだ。ならば、ハッタリを噛ませて言うことを効かせようという魂胆であろう。 ヤクザがやたら大声で威嚇するのに似ていた。「よお、坊主…… 済まないな……」